コーンの缶づめ
作:飛空
その子はその日突然、ボクの家にやって来た。
3日間降り続いた後の晴れの日で、ボクはめずらしく早起きした。
どこかでニワトリが鳴いた。
それに応えるようにトースターがパンの焼き上がりを告げる。
いつものテーブルに腰掛けて、マーガリンとマーマレードをぬった。
パンがサクッと音をたてる。
父さんの部屋の目覚まし時計がなった。
風になびくカーテンの向こうで、カラスも鳴いた。
間もなく、父さんが現れた。
ぼさぼさの頭をかきながら、居間を覗きこむようにして、ボクに告げた。
「今日、ガキが来る。お前と同じ小学校2年生だ。仲良くしてろ」
父さんは「それと、俺のパンも焼け」と言い残し洗面所に向かった。
“ガキ”と呼ばれた子が来るのに、そう時間はかからなかった。
洗面所から父さんが使うドライヤーの音が鳴り始めて、すぐだった。
玄関のベルが鳴ると、父さんは舌打ちをして「もう来やがったのか」と言いながら玄関のドアを開けた。
そこに立っていたのは、背の高い女性だった。
そして、その後ろから、ボクと同じくらいの背丈の女の子が現れた。
ショートカットの髪と大きな二重の瞳。
父さんは、その子と入れ違いに何も言わずに出て行った。
残されたその子はしばらくの間靴も脱がずに、閉ざされたドアの方を向いたまま動かなかった。
寂しくて泣くわけでもなく、追いかけるためにドアノブに手を掛けるでもなく、狭い玄関に立っていた。
ボクはトーストを食べ終え、食器を流しに置いた。
父さんのパンが焼きあがって、ずいぶん経ってからその子は居間に現れた。
無表情のまま、その子はトースターの前まで来ると「これ、たべちゃっていい?」と指差した。
「あ、父さんのぶん。まぁ、いっか」
その子は手で掴んで口に運んだ。
ボクが「マーガリンあるけど?」と聞いても、首を横に振っただけで、その子はオーブンを見つめたまま少し冷めて硬くなったトーストを食べていた。
ボクは自分の部屋に戻った。
ボクの部屋は一日中薄暗い。学習机の蛍光灯をつけて、引き出しの一番上から1ダースのえんぴつを取り出した。
カッターナイフを使って、その中の1本を削り始めた。
何かを書くために削るのではなくて、削りたいために削るんだ。
父さんは以前一瞥して「ムダなことだ」と言った。
けれどボクにとっては、ひどく大切なことに思えた。
「なに、してるの?」
その声に気づいて顔をあげる。
いつの間にか、その子はボクの部屋の入り口に立っていた。
「えんぴつけずってる」
「そう」
「こうしてると、おちつくんだ」
「そう。わかる」
「わかるんだ」
「うん。なんとなく」
そのまま会話は途切れ、ボクはえんぴつを削り、その子は・・・
ドサッ
という妙な音がして、ボクは居間に戻った。
そこには、組み立て終わった大きめのダンボール箱があった。
上の部分が開いたままのダンボール箱。ボクがその中を覗きこむと、その子と目が合った。
ボクは尋ねた。
「なに、してるの?」
「ダンボールばこのなかにおさまってみた」
「うん、おさまってる」
「こうしてると、おちつくの」
その子がそう言ったので、納得してしまった。ボクは「そか」とだけ返した。
「わかる?」その子は言った。
「わかる。なんとなく」ボクは素直にそう言った。
そのまま会話は途切れ、その子はそのまま収まっていた。ボクはダンボール箱から離れ、学習机のえんぴつ削りに戻った。
しばらくして、その子の声だけがやってきた。
「ねぇ?」
「ん? 」
「そっちの部屋、行っていい?」
「うん、いいけど?」
そう答えると、その子は言った。
「てつだって」
居間を覗き見ると、ダンボール箱から2本の腕が伸びていた。
ボクは近寄って尋ねた。
「どうしたの?」
その子はその大きな瞳で真っ直ぐに見上げて言った。
「でたい。ここから」
ボクが手を貸して箱から出ると、そのダンボールごと移動を始めた。
ぼくの部屋の押入れの前に箱を据えると、何も言わずに中に沈んだ。
居間から眺めるボクの部屋はそれまでとほとんど変わらず、ただちょっと不自然にダンボール箱が加わった。
さっきの続きの1本目を削り終えたとき、その子はダンボール箱のふたをパタパタさせながら言った。
「ねぇ?」
「ん?」
「これ、しめて?」
「うん。いいよ」
ボクは立ち上がって、ダンボール箱に近づく。
「しめるよ?」
うなづいた。先にちいさいパタパタを内に折った。長いほうのパタパタをひとつ閉めて、短く切ったガムテープで軽く止めた。
まだ、片方が開いているときに訊いてみた。
「なんで、ダンボール箱なの?」
その回答は意外と早かった。その子は言った。
「わかんない」
続けてその子が言う。
「なんで、えんぴつなの?」
その回答も早かった。
「わかんない」
その子がちょっと笑った気がした。
「閉めるよ」
尋ねると、
「あ、やっぱいい。はんぶんだけ、このままあけといて」
「このままでいい?」
その子は頷いた。
ボクが3本目を削り終えたとき、横目に片側だけパタパタしているのが見えて、訊いた。
「どうかした?」
「うん」
「なに?」
「けずったえんぴつ、どうすんの?」
「これ?」
「うん」
「えっとね、ぐるぐるする」
「ぐるぐるするんだ?」
その子はそれだけでわかったらしい。
「ぐるぐるして、またあした、けずるの?」
「うん」
「アコもする」
そのときはじめて、その子がアコという名前だと知った。
「けずりおわったら、アコもする。いい?」
「いいよ」
それからちょうど半分までの3本を削り終えるのに30分もかからなかった。
その間、アコはパタパタしたり、しなかったりしていたけど、とにかく気にならないくらいおとなしく、ダンボール箱におさまっていた。
「アコ?」
ボクは削り終えて、アコを呼んだ。
パタパタも返事もしないので、覗きこんで見ると、箱の内側で小さくなって眠っていた。
「アコ?」
アコはハッと気づいて顔をあげる。
「ねてた?」
「ううん、ねてない」
アコは強がってそう答える。
そして訊いてきた。
「みてた?」
「うん、ちょっとだけ」
アコは恥ずかしそうにうつむいた。ボクはさっきとめた小さなガムテープをはがす。
「6本けずりおわったから、ぐるぐるしようかと思うんだけど」
アコは「うん」と頷いて、バンザイした。
2枚の紙を床に広げて、向かい合った。
3本をアコに手渡した。
ボクは紙の真ん中にひとつ丸を描いた。アコも真似してひとつ丸を描く。
その丸を中心にして、ぐるぐると丸を描いていく。
とにかく、ぐるぐるやる。
「ホントにぐるぐるね」
アコは言った。
「うん。ぐるぐる」
ボクは応える。
「ぐるぐる楽しい?」
ボクは訊いた。
「うん、ぐるぐる」
アコは笑った。
しばらくの間。部屋にはえんぴつと紙のこすれる音と、アコの「ぐるぐる」という声が満ちて、広がって、次々と消えていった。
3本ずつのえんぴつはすぐに頭を丸くした。
紙の中心は元の真っ白のまま、逆にそのまわりの部分には真っ黒な空間で染められた。
アコはそれを「きれい」と言った。
ボクは、紙を鼻に近づけて、言った。
「ボク、このにおい、ちょっとすき」
アコも、紙を鼻に近づける。
アコはにおいをかいで、首をかしげた。頭の上に「?」が浮かんでいる。
その後、何度もにおいをかいでは、首をかしげた。
アコは言った。
「また、ぐるぐるする?」
「うん。あと6本あるから、まだできる」
「じゃあ、ぐるぐるまつ」
アコはもとのダンボール箱に向かった。
ダンボールまで行ったアコは、一旦戻って、ぐるぐるの紙を指差して言った。
「これ、ちょうだい?」
「うん、いいよ?」
そうボクが答えると、アコはうれしそうに2枚とも持って行った。
アコのうれしそうな背中を見て、少しだけ、うれしくなった。
「ねぇ?アコ?」
「どうしたの?」
「ボクもそれ、はいってみていい?」
「うん。いいよ?」
ボクもその小さな空間におさまってみた。
パタパタにさえぎられた天井は少しだけ小さくなって、聞こえていた音もなんとなく小さくなった。
えんぴつのにおいとはちがうけど、もうちょっと入ったままでいたら、落ち着くのかな?とか考えてみたりした。
アコが天井からボクを覗きこんで訊いた。
「どう?」
「わかんないけど、けっこう好きだよ?」
アコは「そっか」と言ったけど、喜んでいるように聞こえた。
ボクは自分の力で出ようとしたけれど、思ったように動けなくなって、結局バンザイしてアコに言った。
「でたい」
アコに引っ張ってもらってようやく出られた。救出されるのも悪くない。
ボクはイスに戻って、えんぴつの続きをする。
アコはそばに立って、しばらく見ていた。
1本分見終わって、アコは言った。
「近くに来ていい?」
「うん」とだけ答えると、アコはダンボール箱をイスのすぐ隣にくっつけるようにして置いた。
そして、ゆっくりとその中に沈みこむ。背中をこっちに向けて、おさまった。
「しめる?」と訊くと、
アコは「そのままがいい」と言った。
アコはダンボール箱の中で、紙に鼻をくっつけていた。
ボクがえんぴつを削っていると、アコが呟くように言った。
「おかあちゃん、戻ってくるかな?」
「戻ってくるんじゃない?」
「そう? しばらく待っとき、としか言ってなかった」
アコは続ける。
「アコの父ちゃん、帰って来なかったらしい。アコは知らないけど、母ちゃんがそう言ってた」
「ボクも、母さんいない」
2人にとっては、それが寂しい事なのかどうかわからなかった。
ボクには家族は父さんしかいない。アコにとっても、母さんしかいない。それが2人の当然だった。
ボクは言った。
「にたものどうしだ」
そう言うと、アコは「うん」と小さく頷いた。
最後の一本に取り掛かったとき、アコが眠っているのに気がついた。
どこからやってきたのかは知らないけど、朝早くにここに来ていたのだから、きっと早起きしたせいだ。
アコはさっきのぐるぐる紙を抱きしめたまま、箱の中で小さくなって寝息を立てている。
ボクはアコが使いやすいように、気を付けて削ることにした。
ゆっくりやったので、いつもより時間がかかってしまったけど、いつもとはちょっとだけちがう削り具合に見えた。
その1本が削り終わって、アコに声をかけた。
「アコ?ぐるぐるする?」
アコは寝ぼけたまま、「うん、ぐるぐる」と答えた。
ボクはイスから離れて、アコの正面に回って、呼び続けた。
「アコ?」
「………うん」
「アコ?」
「………う、うん」
「アコぉ?」
「………ぐるぐる」
何回も呼んでみた。その度に、頷いたり、首をかしげたりした。
「アーコ?」
「………ばたぁこーん」
「バターコーン?」
アコは「うん」と頷いた。きっとまだ夢の中なのだろう。
けれど、それを聞いて、ボクも食べたくなった。
以前、父さんが酒のつまみ代わりに作って食べていたのを思いだした。
冷蔵庫に中くらいの大きさの缶詰がはいっていた。
笑った顔をしたうれしそうなそのパッケージには『ハッピーフーズ』と描かれていた。
お皿にあけて、マーガリンをたっぷり乗せる。電子レンジに入れて、かんたんスイッチを押す。ボクにも出来るようになった。
窓からのぞくと、マーガリンがちいさな泡を出しながら溶けていくのが見えた。
ピピピッという音にあわせて、アコが声をだして、倒れた。
「大丈夫?」と駆け寄ると、
「でれた」と満足そうだった。
ボクはアコに告げた。
「できたよ。バターコーン」
アコの頭の上に、また「?」が浮かんだ。
「バターコーン。できたよ」とボクが繰り返すと、
「ばたこーん!」と笑顔になった。
居間のテーブルの真ん中に置いて、2つのスプーンで交互につっつきながら食べた。
ボクが「おいしい?」ときくと、
アコは「おいひぃ」と答えた。
すっかりたいらげた後で、再びえんぴつを手に持った。
床に広げた紙に向かって、ぐるぐるをはじめる。
ボクはいつもどおりぐるぐるしていたけど、アコはなにか別のものを描いているらしかった。
ボクがえんぴつを3本つかいきったところで、アコも同じように「できた」と言った。
アコが描いたものを見せてくれた。
そこには紙いっぱいに描かれた、ハッピーなマークだった。
アコは、「ばたこーん!」と言って、笑った。
アコはすぐにその、ばたこーん印をダンボール箱に持って行った。
「どうするの?」と尋ねると、
「こうするの」と言って、ガムテープで内側に貼り付けた。
アコは「なかにおさまって、いちばんよくみえる」と言った。
アコは、ボクの方を向いて、「ばたこーん、おいしかった」と言ってくれた。
そのとき、玄関のドアの開く音が聞こえて、父さんが帰ってきた。
玄関先から、女性の声がアコを呼んだ。
アコは、「またね」と言った。
ボクが「また会えるかな?」と尋ねると、「うん。たぶん、会えるよ」と笑顔で言った。
アコは「またね」と言って一度玄関まで走っていき、再び戻ってきた。
そして、「これ、もらっていい?」と3枚のぐるぐる紙を指差した。
ボクが頷くと、アコは2度目の「またね」を言って、玄関から出て行った。
アコは、突然現れて、またいなくなってしまった。
アコが出て行った玄関のドアを見ているのが哀しくなって、ボクは自分の部屋に閉じこもった。
イスの上に座って、使い終わったえんぴつをもう一度削ってみたけど、胸のあたりのぽっかりはうまってくれなかった。
まるで、さっきまで描いていた、ぐるぐるみたいなぽっかり。
すぐ近くで倒れているダンボール箱を起こして、ボクももう一度入ってみた。
さっきまでアコがここにいた。
パタパタの間から、いつもより小さな天井を見上げた。
もう、アコは顔を出さなかったけど、そのとき少しだけマーガリンのにおいがした。
すぐ目の前で、バターコーンの顔が笑っている。
「うん、なんかおちつく」
ボクの胸のぐるぐるの真ん中に、えんぴつのにおいと、マーガリンのにおいがふんわり広がった。
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